その29:「今後の成長戦略」(その4)

「今後の成長戦略」(その4)

 第29回目のブログを掲載しました。今回のテーマも前回に引き続き「今後の成長戦略」です。 これから先、私たちは否応なくITと向き合ってサイバー空間を上手く利用しながら成長していくしかありません。そして世界には強敵がひしめいています。この競争を勝ち抜くためには日本の人柄や土地、気候・風土などすべての強みを最大限に活かしていかなければ勝ち目はありません。
 人口密度が高く、火山が多く自然災害も多い。すでに高齢化社会に突入し、団塊の世代が全員75歳以上になる2025問題もかかえています。人口は減少しはじめていて、GDPの成長率は低く2025年ごろにはインドにも抜かれそうな状況。こんな状況でも何とかしていかなければなりません。一体それはどんなものか、今後日本が成長していくために、私たちにはどのような選択肢があるか、それを実現するために何が必要か、何をしなければならないのか、改善すべき点は何かなどを探っていきたいと思います。
 前回(その28)までの3回にわたって、ITビジネス分野において今後も確実に成長が見込める、最も有望なビジネスとして「波際(ラスト・ワンインチ)ビジネス」や、日本の課題や強みを活かしたいろいろな成長戦略などについてについてご説明してきました。そして前回は、今後日本でも成長が見込まれる、より具体的な分野である「シェアリングエコノミー」と「デジタルデータの活用」に関してご説明しました。
 今回は、「今後の成長戦略」シリーズの最後として、ひとつはIT人材を育てる「人材教育」、ソフトウェア技術者人口を増やす「ソフト産業強化」について、もうひとつは、2年前から続く新型コロナ流行でも話題となった「働き方改革」と「労働生産性UP」についてです。

(5)「人材教育」、「ソフト産業強化」:
 古今東西成長に一番大切なのが「人材」だと思います。いくら優秀な戦略があっても、いくら大きなチャンスがあっても、それを実践していく人材が無ければ何も起こりません。人材育成は成長戦略の前提となるものです。しかし、残念ながら現在の日本は人材育成において失速していると感じます。それを証明するデータがずらりと並んでいるのです。その一つは、学術論文数のランキングですが、文部科学省 科学技術・学術政策研究所の2017年の調査によれば、過去10年間で注目度の高い論文数の世界ランクが5位から10位へと後退しています。その数自体は12%の伸びを示していますが、他国はそれ以上の伸びを示しており、特に中国に至っては伸び率479%と猛烈な勢いであり、すでに論文数は2万6千件を超え、日本の約6千5百件を完全に引き離しています。中国の論文数ランキングは米国に続く2位であり、この10年でヨーロッパの各国も抜き去ってしまいました。さらに、最近の研究は国際共著が進んでいますが、ここでも日本の足踏みが目立っています。英国、ドイツ、フランスは国際共著率は約60%ですが、日本は約30%にとどまっており、日本の研究が内向き姿勢なことが分かります。さらに気になる点として、研究・開発でトップを走る米国の国際共著相手国として、日本は10年前の4位から6位の位置づけを5位から9位程度へと落としています。米国の共同研究相手として選ばれなくなってきているのです。その反面、近年米国の国際共著相手国としてほとんどの分野で1位になっているのが中国です。中国は人工知能(AI)などの計算機・数学分野だけではなく、化学、材料科学、工学、環境・地球科学、基礎生命科学などの分野でも米国の国際共著相手国1位になっています。それに対し、日本は計算機・数学分野において13位となるなど、ほとんど相手国としての存在感は失われている状況です。他国の研究者から選ばれない国になってしまっているのです。これはかなり深刻だと思います。また、その報告では日本の論文生産における部門・組織区分構造の変化に関しても報告しています。それによれば、論文数の減少が最も大きいのは国立大学であり、それに加え企業による論文数の減少は過去20年に及ぶとして、その影響は大きいと指摘しています。英国の高等教育情報誌 タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(Times Higher Education)が発表した「THE世界大学ランキング」によると、日本の大学で最も順位が高かったのは東京大学であり36位でした【図1】。この他に上位200校に入ったのは、京都大学の54位の1校だけでした。アジアで最高は中国の清華大学の20位であり、東京大学はアジアの各大学にも差をつけられています。


図1:世界大学ランキング(2021年版)
高校生新聞オンラインより
https://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/6768

 このような状況に対し、日本の著名研究者から警鐘が鳴らされています。日本経済新聞のインタビューで、2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した東京工業大学の大隅良典栄誉教授は、「かっての日本の大学は基礎的な研究活動を支える講座費という制度が充実し、みんなが好きなことをやれた時代があった。今では研究できるポジションも少なくなり、親が大学院進学を止めるほど研究職は将来が見通せない職業になった。このままでは将来、日本からノーベル賞学者が出なくなると思っている。」と述べています。また、国際化については「中国は海外経験がないと大学の先生になれず、みんな留学をする。米国でポジションを得た人が中国に帰る際はすごくいい条件を得ている。」と指摘されており、中国が米国の国際共著相手国1位になっているメカニズムも明らかにしています。
 これらの指摘は国内にとどまりません。日本経済新聞によると、英国の有力科学誌「ネイチャー」は2017年3月号の特集で「日本の科学研究はこの10年間で失速している」とし、その要因としては、「各国が研究開発投資を増やす中で日本は2001年以降は横ばいで、国立大学への交付金を削減したため若い研究者が就ける任期のないポストが少なくなった点をあげた」としています。これに対し、国内の研究機関や政策に関わる人たちはすでに問題を把握しており、いろいろな対策を講じていますが、諸外国の活動はさらに積極的であり、追いついていない実態があると報じています。いずれにしても、現状を真摯に受け止め、過去の栄光を振り返るのではなく、前を向いて一歩ずつ進んでいくしかない状況にあるのです。
 IT関係で今一番ホットな研究テーマは人工知能(AI)だと思います。すでにご説明したように、巨大IT企業は巨額の研究開発投資を行っています。これらの企業は、世界で数十万人規模で不足していると言われるAI人材の獲得競争をはじめています【図2】。資金力に勝るITのビッグ5はコンピューターサイエンスやデータ分析、プログラミング言語などを学んだ学生を中心に博士であれば初任給で20万ドル程度を用意して採用活動を激化させています。人工知能技術の一つである「機械学習」の世界的カンファレンスである「ニューラル・インフォメーション・プロセシング・システムズ(NIPS:Neural Information Processing Systems)」の会場では世界のAI研究者が集まるため、さながらIT企業が人材を獲得するためのリクルート会場の様相になっているといわれています。日本国内でもAI人材の獲得競争は始まっており、これまで国内IT企業がほぼ独占してきたAI技術者を、自動車メーカーをはじめとする他の業界の企業も入り混じって人材獲得合戦を繰り広げています。


図2:企業のDXを阻む「AI人材不足」
シーネットネットワークスジャパン ホームページより
https://japan.cnet.com/article/35174795/

 これだけニーズが高いAI人材市場に対し、人材を提供する側の大学をはじめとする研究体制の日本の状況はどうなっているのでしょうか。日本経済新聞と学術出版大手エルゼビアによる「人工知能(AI)に関する世界の論文動向」の分析結果によると、企業研究ではマイクロソフトやグーグルを抱える米国が強く、大学では中国、シンガポールなどのアジア勢が優勢な状況が分かりました。しかし、日本では東京大学の64位が最高位であり、東京工業大学が262位で続いている状況で、研究体制の出遅れが目立っています。この状況に対し、国も動き始めており、産業技術総合開発機構(NEDO)が東京大学と大阪大学で人工知能(AI)の講座を開設し、機械学習、自然言語処理、画像認識などの授業を行うことにしました。また、横浜市立大学が2018年度にデータサイエンス学部を開設しました。この学部の入試最高倍率は7倍を超えています。さらに経済産業省は2018年4月にIT分野の職業訓練を充実させるための新制度を設け、人工知能(AI)やビッグデータに精通した人材を育成する講座を積極的に認定しています。このように、官民を挙げて人材育成の努力は行われていますが、なかなか世界の趨勢には追い付いていない状況が続いています。
 優秀な日本人AI研究者を増やすには、どのような研究環境が要求されるのでしょうか。人工知能の研究をするには、専門分野のコンピューターサイエンスやデータ分析、プログラミング言語などの学問も必要ですが、実際には心理学、脳科学、言語学、メカトロニクス、生物学など多方面な知識が必要になります。つまり異分野の研究者との交流が欠かせないのです。これを実現するオープンなコミュニティーが備わっている必要があります。世界の研究者がそこに来たくなるような、ワクワクするような魅力が必要です。米国の西海岸のシリコンバレーは、情報産業の集積地となり、世界の技術者がそこで腕を磨くことを目指して集まってくる場所でした。日本のどこかに、そんなAIの聖地のような場所が生まれることが必要なのです。高齢化社会、自然災害多発国日本の特色を活かし、それに世界的に競争力のあるロボット技術を組み合わせた救難ロボット、介護ロボット+AIの聖地などはどうでしょうか。他の例を挙げるなら、日本で世界的な競争力を維持している自動車産業に人工知能を適用する聖地にするのはどうでしょうか。そうするためには「自動車を研究するなら日本だ。日本に行きたい。」と世界中の研究者が認めるようになる、それだけ圧倒的な技術水準を作り上げることが必要です。当然そこは日本人だけでなく、多様性を認め合える広く世界に開かれた場所・社会でなければならなりません。
 そして、初等教育にも踏み込む必要があるのではないでしょうか。日本の義務教育は「第二の波」の人材を育てるのにはとても有効でした。毎朝、通勤ラッシュに耐えながら決まった時間に出社し、細分化され専門化された業務をこなして、画一化されたタイムスケジュールによって帰宅する、といった「第二の波」の作業形態をそつなくこなす人材を作りだすにはうってつけでした。これらの教育を「第三の波」の著者アルビン・トフラーは「第二の波」の教育とし、大衆教育であり、①時間厳守、②社会ルールに対する服従、③反復作業を身に付けるためのものだった、と述べています。しかし「第三の波」では、画一化が失われ、個性化が進むのです。そこでは少し個性的な異才を生む教育システムが要求されるようになるのです。今の日本の若者で世界で活躍する人は出てきています。野球の大谷翔平選手、テニスの大阪なおみ選手やフィギュアスケートの羽生弓弦選手、日本では将棋の藤井聡太六段などです。すばらしい才能をいかんなく発揮していてまぶしい存在です。これらの若い人は小さい時からかなり特殊な環境でその分野に打ち込んできています。錦織圭選手も13歳の時にアメリカへ渡って世界の選手と競いあって成長しました。大谷翔平選手も早いうちに大リーグに移籍し、世界を舞台に自分の力試しをしています。若い一番の伸び盛りの時期をいかに過ごすかは、とても影響が大きいのです。日本の場合、義務教育制度によって進路が少し画一的になっていないでしょうか。もっと多様な学び方(別の言い方をすると、もっと多様な教え方)を認めることが必要になってきていると思われます。
 そんな中、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長は、「高い志と異能を持つ若者を財団生として認定し、才能を開花し、未来を創る人材として羽ばたくための様々な支援を提供する」とし、2016年12月に「孫正義育英財団」を設立しました。すでに8歳から26歳までの志を持つ約100人程度が選別され、活動をはじめています。このような活動がさらに広がり、その中から世界で輝く人材を多く生むことが期待されます。


(6)「働き方改革」と「労働生産性UP」:

 社会全体に若々しい体力をつけなければ成長に向けた活力は生まれません。しかし、日本はこれから労働人口が減っていく高齢化社会です【図3】。それでも体力を維持し、元気をつけるためには、ITを活用することにより一人ひとりの生産性を上げることが必要です。


図3:我が国人口構成の推移
総務省 ホームページよりhttps://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h28/html/nc111110.html

 内閣府は、2017年度の「年次経済財政報告-技術革新と働き方改革がもたらす新たな成長-」を発表し、日本の一人当たりの労働生産性は1時間当たり39.5ドルであり、米国の62.9ドルの6割程度にとどまると発表しました。さらに、日本は非製造業の労働生産性が他の先進国に比べ低いと言われており、まずこの生産性を上げる必要があります。特に「農林水産業」「電力・ガス」「金融・保険」「卸売り・小売り」などの生産性が低いとされています。これらの業種では、コンピューターで機械化できる仕事は機械に任せ、人でなければできない世の中の常識に基づく判断や、人間同士の高度なコミュニケーションを必要とする仕事を人間が行うように改革する必要があります。人と機械でうまく役割分担するのです。その際の機械側の代表格は、ロボティック・プロセス・オートメーション(RPA:Robotic Process Automation)と呼ばれる技術であり、これまで人が行ってきたデータを繰り返し入力したり、転記したりする業務を人工知能(AI)などを使って自動化するものです。これにより、かなりの雑務から人間は解放され、人手不足解消にも貢献するとされています。現在この技術導入をはじめているのは「金融・保険」が中心ですが、次第に「卸売り・小売り」にも広がりを見せており、中小企業にも浸透しはじめています。
 生産性向上は非製造業のみならず、製造業に関しても必要です。製造業のホワイトカラーの作業は非製造業と共通の内容のものも多く、この仕事に関しては前述のロボティック・プロセス・オートメーション(RPA)により効率向上が図れます。また、製造現場および生産管理、サプライチェーンの合理化に関しては、IoTを活用した「第四次産業革命」による生産方式の改革を導入し、革新的な生産効率の向上を図るべきです。このように、企業のいたるところに人工知能(AI)を応用した技術が導入されるようになると、どの業種の企業でも「データサイエンス」の素養を持つ人材を増やしておく必要がでてきます。
 そして生産性向上は、民間企業のみならず、行政など公共サービス分野にも必要です。昨今の新型コロナウィルスへの対応で、日本の行政サービスの真価が問われましたが、現実は厳しく、ここでも諸外国に後れをとっていることが明らかになりました。日本の行政サービスにはまだ「紙ベース」のものも多く、電子化は思うようには進んでおらず、他の多くの国に対し遅れをとっているのです。最近発生した日本年金機構による「過少支給問題」を巡っては、書面による申告書の記載内容をコンピューターに入力する際の記入ミスが原因となるなど、いまだに電子化されていないことの弊害が出てきています。また、コロナワクチン接種の際も、何度も同じ紙の問診表に同じことを手書きで記入しなければなりませんでした。同じことを何度も繰り返すムダが至ることろに存在し続けているのです。年金受給者の中にも、電子申請を苦も無くこなす「ディジタルシニア」は増えてきているのに、それを活用できていません。これには日本人特有の紙文化がありますが、今こそこれを打破していかなければならない状況になっています。しかし、行政の電子化を進めるために重要な「マイナンバー法」が施行されてから2年経った2017年時点で、「マイナンバー」の普及率は10%に満たない状況です。政府はマイナンバーカードと民間ポイントの連携などでインセンディブを与えていますが、なかなか一般国民にはアピールできていません。また、個人情報漏えいに対する根強い不安感も払しょくできていません。今、日本は、あらゆる施策を総動員し、電子化による行政サービスの生産性向上は成し遂げられなければならない状況にあります。そのためには、「マイナンバー」の普及が欠かせないと思われるため、何かうまいスローガンでも用意して、国民皆「マイナンバー」化し、いろいろな事務処理の効率を一気に向上するのがよいのではないでしょうか。また、その時のインセンティブは、金銭的なインセンティブよりも、国の財政改善などの社会的インセンティブの与え方の方が訴求するのではないでしょうか。財務省は2017年6月末時点の「国の借金」の残高が1053兆余りだったと発表しましたが、これを少しでも減らすためには電子化による行政の業務効率向上も大きく貢献できるのではないでしょうか。今年から本格的に活動を開始する「デジタル庁」が強力なリーダーシップを持って日本のデジタル化を推進することに大きな期待をしています【図4】。今度失敗したら後がない、という危機感の共有が必要です。


図4:デジタル庁発足式
首相官邸 ホームページより
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/actions/202109/01kunji.html

 さらにITを活用した働き方改革も生産性向上には貢献できると期待されています。日本特有の雇用形態である「終身雇用制」は「年功序列制」とペアにして、「第二の波」の産業でいろいろな企業で一般的に採用されてきました。雇用側としては人の入れ替わりが少ない為、採用や教育にかかる費用を少なくすることができ、労働者側も安定して働き収入を得ることができることで双方にメリットがありました。しかし、その反面、雇用の硬直化を生み、雇用の流動性が無くなるデメリットがありました。業務が目まぐるしく変化する「第三の波」の産業にあっては、むしろこのデメリットが大きくなってきます。そこでITを使った「クラウドソーシング」という新たな雇用形態が注目されています。「クラウドソーシング」はインターネット経由で仕事を受注し、単発的かつ短期的に作業を行う労働形態です。腕に自信のあるエンジニアの中には、特定の企業には属せず、自由に自分のやりたい仕事をする、という労働形態(ワークスタイル)も広がっています。この労働形態の生産性は非常に高くなります。
 繰り返しになりますが、日本は高齢化社会であり、老人大国になっていきます。その過程では、まだ働けるのにその場を失い、いったん仕事(生産活動)をリタイアし休眠状態になっているシニアも多い状況です。団塊の世代と呼ばれるシニアは70歳前後ですが、まだまだ元気な人が多く、ITだって使いこなすディジタルシニアも増殖中です。この力を眠らせておくのはもったいないのではないでしょうか。これらのシニア世代は働くことによる金銭的な欲求よりも、社会へ貢献したいという意識が強い傾向があります。前述したように「社会貢献」というインセンティブを与えれば、いったん仕事(生産活動)をリタイアし休眠状態になっていたシニアも、喜んで生産活動を再開する人は多いと思われます。日本には仕事好きな人が本当に多いのです。これを有効活用しない手はないと思います。



 以上、今回は「今後の成長戦略」シリーズの最後として、日本の今後の成長を実現するための前提条件のひとつであるIT人材を育てる「人材教育」とソフトウェア技術者人口を増やす「ソフト産業強化」について、もうひとつは、2年前から続く新型コロナ流行でも話題となった「働き方改革」と「労働生産性UP」に関してご説明しました。どちらも今後の成長を実現するために不可欠な内容です。現在の日本の立ち位置はこれらの状況において後進の状況であり、早急な挽回が必要です。デジタル庁を中心にこの後れを挽回し、日本の底力を見せたいものです。


 

 

2022年08月03日