「情報」の特徴
これまでのブログで、「IT(Information Technology)(情報技術)」や「情報」についてご説明してきました。これらの内容に関してかなりイメージがつかめたのではないかと思います。そこで、今回は「情報」について、さらに深堀りしていくために、「情報」の性質や特徴についてご説明したいと思います。
「情報」には様々な性質・特徴があります。以下にそのいくつかをご紹介しますが、これらはそのうちの一部でしかありません。なぜ、「情報」にはこのように多くの性質・特徴があるのかと言えば、「情報」がいろいろな側面で利用される「多面性」を持っているからです。「情報」はすでにご説明したように、私達人類(生物)が生命を維持するために利用されたり、人間が社会を構成するようになると、その社会を維持・発展させるために自ら「情報」を活用するようになりました。また、人類が進化しより良い生活を送るために、クラシック音楽であるとか舞踊のような人工的な情報(コンテンツ)を生み、利用するようになりました。近代においては、電気・電子技術と融合させ、社会のあらゆる側面で機械的に「情報」を活用するようになりました。「IT(情報技術)」を考えていく上で、まずこれらの性質・特徴についてよく知っておく必要があります。以下に特に重要な性質・特徴についてご説明していきたいと思います。
①「情報」は、「物質」、「エネルギー」とならび、現代社会を構成する要素のひとつである:
三省堂 大辞林 第三版によれば、「情報」の解説の一つとして、「物質・エネルギーとともに、現代社会を構成する要素の一」と解説されています。20世紀に入り、「情報」を扱う情報科学が登場する前は、社会は物質科学とエネルギー科学によって物理法則に還元して説明できるとされてきました。しかし、「物質」と「エネルギー」のみでは、ホワイトボードに黒のマーカーで書かれた「赤」という文字と、「白」という文字の違いを説明できない(この二つは物理法則上ほとんど差がない)のです。また、ホワイトボードに「これから雨が降ります」という文字を描いた時に、人間は、傘を持って行くなど、雨に対する準備をすることができますが、猿がそれを見ても何も感じることができず、雨への準備をすることもできません。このケースでは物理法則上は全く同じですが、それを見た側の反応は明らかに違ってきます。この違いこそ、そこに「情報」が存在している証拠なのです。そこで「情報」は物質科学やエネルギー科学で扱えるものとは別の存在として(物理法則としては扱えない存在として)、情報科学という別の科学で扱うべき存在とされるようになったのです。
多くの人は「情報」を「物質」、「エネルギー」とならび称されるほどのものとして捉えていないのではないでしょうか。それは「物質」や「エネルギー」は人間と接すると、重さを感じたり、熱を感じたり意識の中に残ることが多いですが、「情報」は、脳の中で無意識の中で処理されていくものも多く、あまり意識の中に残ることがないからかもしれません。しかし「情報」は現代社会を構成する要素のひとつとして非常に重要な存在であり、私達の社会や生活の中に深く関わっているのです。
② 人間は「情報」がないと生きていけない:
人間が生きていくために必要なものとしてよく挙げられるのは、「地球(土地)」、「空気」、「水」、「衣・食・住」などではないでしょうか。しかし、生物的な生命の維持・安全が確保された前提で考えると、「情報」が一番大切なものと言ってもいいのではないでしょうか。
「情報」がもしも無かったらどうなるかを考えてみましょう。本ブログ「その4 情報とは」でご紹介した〖「情報」の定義1〗によれば、「情報」とは、「もののごとについて(新しいことを)知らせるもの」と説明しました。したがって「情報」が無い、という状態は、ものごとについて、新しいことを知らせるものが全く無い状態です。すべてのものごとはすでに知っていることだけで、新しい知らせが入ってこない状況になるのです。実際にこの状態を作りだすことはとても難しく、すべての「情報」からその人を隔離する必要があります。まず、全く音を通さない密閉された部屋が必要になります。これにより、耳から入る情報は遮蔽することができます。次に目から入る情報を遮断するために、明かりを消して真っ暗にし。部屋には何も置かないようにします。さらに、温度・湿度も変化しないようにコントロールし、振動などもその部屋に与えないようにします。だいたいこれだけやれば、かなりの「情報」を遮断することができます。さて、この部屋に入った私達人間はどうなるでしょうか。この状態でも、自分が作る「情報」だけは認識することができます。例えば、この部屋に入ってしばらくした時、2時間ぐらい経ったかなと、自分の体内時計を頼りにして時間経過を推測するかもしれません。しかし、それを実証するための時計はありません。お腹が減って「グーグー」と鳴るかもしれません。好きな焼肉を食べたいとか想像するかもしれませんが、何も「情報」は入ってこないのです。自分が勝手に考えたことについてフィードバックする術がないのです。こんな状態で、いったい私達人間はどれぐらいの時間をこの部屋の中で過ごせるのでしょうか。眠っていれば意識はないので、その時間は耐えられます。しかし、脳が覚醒し、意識がある状態でこの「情報」が無い状態に長く置かれたら、精神的に耐えられず、すぐに飛び出したくなってしまうのではないでしょうか。私達人間は多くの「情報」の中で、その「情報」を元に判断し行動して生きています。人間にとって、「情報」は空気のように必要不可欠なものなのです。
③「情報」は私達の人体(人間の脳)に大きな影響を与える:
「情報」は私達の人体に大きな影響を与えます。特に人間の脳に刺激を与え、脳はその「情報」を処理して行動したり、知識として記憶したりします。人間の脳は約千数百億個もの「ニューロン(神経細胞)」と呼ばれる神経を構成する基本単位でできています。「ニューロン」は神経細胞体、樹状突起、軸索からなり、一つの神経細胞体からは、長い「軸索」と、木の枝のように複雑に分岐した短い「樹状突起」が伸びています【下図参照】。これらの突起は、別の神経細胞とつながり合い、複雑なニューロンどうしの巨大なネットワークを形成しています。ある「ニューロン」が電気刺激(入力)を受け取り、その電気刺激が一定以上たまると発火(出力)し、次のニューロンや筋肉などの実行器に伝えられます。人間の脳は、五感を通して人間に入力された「情報」を、電気刺激に変換し、それをこの脳神経ネットワークで「ニューロン」から「ニューロン」へと伝えながら処理していくという比較的シンプルな構造で成り立っているのです。さらに脳は「情報」を処理しながら、このネットワーク構成を変化させていき、脳のいろいろな機能を実現しています。残念ながら、このネットワーク構成を変化させる様子は簡単には見られないため、変化しているという実感はありませんが、確実に影響を与えています。最近の脳科学では、いろいろな「情報」を受け付けたあと、脳がそれに応じて活性化するところの映像なども観測できるようになってきているので、そのうち、その様子を見て楽しみながら学習することができるようになるかもしれません。
現在、「情報」の流通量は爆発的に増えています。「情報」の流通量がこのまま増え続けると、いったい私達の脳はどうなってしまうのでしょうか。「情報」が増えた分、さらに処理能力を上げようとして、脳がさらに大きく、複雑な神経ネットワークに進化していくのでしょうか。私達「新人(ホモ・サピエンス)」の脳の容量は約1,500cc程度であると本ブログ「その4 情報とは」でご紹介しましたが、あと数万年後には、2,000ccとかになってしまうのでしょうか。もしもそれほど脳が大きくなってしまうと、おそらく、頭の形も変わってくるし、そんなに重い頭を支える首の形や太さも変わってしまっていると思われます。このように、「情報」は私達の人体(人間の脳)に大きな影響を与えるのです。
理化学研究所 脳科学総合研究センター ホームページより
④「情報」には形はないが、量(「情報量」)がある:
「情報」には形がなく(無形物)、私達はそれを直に持ったりすることはできません。しかし、「情報」はメディア(または通信路)に入れることにより他人が認識できるようになり、人へ伝達したり(コミュニケーション)、保存する(記録する)ことができるようになります。
「情報」には形がないのに量があり、これを「情報量」と呼びます。情報理論では、「情報量」はその「情報」を受け取る前と受け取った後で、どのぐらいその「情報」を受けた人の状態が変わるか(「不確定」であったことを「確定」させたか)で定義しています。本ブログ「その4 情報とは」でご紹介した〖「情報」の定義1〗によれば、「情報」はもののごとについて(新しいことを)知らせるものでした。その「情報」がどれだけ新しいことを知らせてくれたのかは、不確定であった(または全く知らなかった)ことを、どれだけ確定させたかを明らかにすることで、計ることができます。すでに知っていたことを知らせても、何も新たに確定することにはならず、「情報量」はゼロです。ただし、この定義の中では、「情報」の質(ウソか本当か、受け取った人にとって役に立つのか立たないのかなど)は含まれません。この「情報」の質については、現代のITを駆使しても、なかなか分かりません。
情報理論の「情報量」の定義について、簡単な例で説明します。ある母親が今夜の夕食を「カレー」か「ハンバーグ」にするよ、と息子に言いました。ところが、息子は母親が「カレー」にするか「ハンバーグ」にするか、事前の「情報」は全くなく(全く知らせられていない状態)、どちらが正解か五分五分の状態でした。そこで、母親が、『今夜の夕食は「カレー」にする』という「情報」を息子に与えたら、今まで不確定(二分の一:50%の確率)だった息子の正解率は、今夜の夕食は「カレー」だと100%の正解率(解答が確定した)へアップするので、この「情報」には「情報量」があったことになります。ちなみに、情報理論では、このように確率50%の事象を100%に確定させる「情報量」を1ビットといいます。この母親が息子に与えた『今夜の夕食は「カレー」にする』という「情報」は1ビットの「情報量」を持っていたことになります。
また、前述したように、この「情報量」には、「情報」の質は考慮されていません。この息子にとって、今夜の夕食が「カレー」であろうが、「ハンバーグ」であろうがどうでもよい無意味な「情報」だったとしても、事前の「情報」が全くない状態で知らせられれば、その「情報量」は1ビットとなるのです。2020年の世界の全ディジタルデータ量は40ZB(ゼタバイト:ゼタは10の21乗)に到達するという予測があるとされていますが、その「情報」がどれだけ私達の生活に役に立つ「情報」かは、別問題なのです。想像したくはないですが、ウソの「情報」、「フェイクニュース」がまん延しているだけかもしれないのです。
と、いうことでいろいろな切り口から「情報」の性質・特徴について説明していますが、まだいくつか残っているので、すみませんが、今回はここで切らせていただいて、他の性質・特徴についてのお話しは次回にさせていただきたいと考えます。